遅ればせながら、自己紹介です
2002年10月7日自己紹介を書こうと思いつつも、
なかなか文章にまとまらずにここまで来てしまいました。
まず、おかげさまで色々な考えの皆様にリンクを張っていただき、
この毎日の駄文に目を通してくださってる方々に
お礼申し上げます。
ありがとうございます。
風俗日記はその頃、日々の活動日報という形で克明に書いていた文章を基に、風俗店の思い出を、若干の自分の意思や考え方に乗せて「デリヘル人情劇場」などとしてここに書かせていただいております。
思い出というからには、分かっていただけると思うのですが、
現在は、もう風俗からは一切足を洗っております。
堅気です(笑
現在は、某ホテルでパンを早朝より焼いていたりしております。
そして、某福祉学校で福祉の資格をとるべく学んでいたりもします。
年齢は28歳、もちろん男です
なぜ風俗から福祉?
と思われるかとは思いますが、実は結構共通点があったりします
青いお空のそこふかく
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる
昼のお星はめにみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
ちってすがれたたんぽぽの
かわらのすきに、だァまって
春のくるまでかくれてる
つよいその根はめにみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
これは、小学校の教科書にも載っている一本の詩です。
私たちの回りには、「見えないけれどある」ものが存在します。
太陽の光、普段は見えないけれど、
虹に変身してその美しさを感じさせてくれます。
風、見えないけれど、頬に感じることができます。
時にはよい香りを運んでくれます
人の心はどうでしょう?
謙虚さ、寛容さ、やさしさ、
どれもあるけれど見えないものばかりです。
風俗で働く女性は、『わけあり』の方がほとんどです。
世間では風俗嬢と知れただけで、軽い女と見られたり、
また、軽蔑した眼差しで見られることは多々あります。
女性自身も、負い目を感じ、
見た目以上に自分の殻に何かを閉じ込めてしまっている
そういう人が多数おられます。
みんなごくごく普通の人なのに・・・。
風俗をやっていた頃は、
そういう心に何かを閉じ込めてしまっている人の
そんな心に少しだけ入れてもらい、
ただ、人よりも少しだけ、
ほんの少しだけ寄り道をしてるだけなんだ
というコトをわかってもらい、共感しながら
少なくとも、
胸を張って風俗業界のド真ん中を全員で歩いてきたつもりです。
風俗業界は、人の心の奥底にある欲望を満足させる仕事
だからこそ
見えぬもの、見えないものを見つけていくことに意味があります。
風俗嬢にだって、プライドを持ち堂々と生きていく
風俗嬢にだって、人に負けない、
それ以上のやさしさや、傷つく痛みを知っています
みなそれぞれが、そういったものを持っているとわかった彼女たちは
生き生きと胸を張って仕事をしました。
見えぬものでもある
見えないものでもあると感じてくれていたはずです。
そういう人は人にやさしくなれます
福祉、特に老人介護という仕事はまた、見えぬものを感じる仕事です。
痴呆性のご老人は、徘徊を繰り返します。
呆けたから何も考えずに、ただただ歩き回るのでしょうか?
痴呆の老人も、薄れていく自分の記憶と闘いながら、恐怖を覚えながら
「自分は何をしたらいいのか?」
「何をしようとしていたのか?」
と考えあぐねた結果が徘徊という行動に現れるのです。
人に言えない、表現できない
『わけあり』をかかえて生きようとしておられます
似てるんですね。
心に何かを抱えている人の、心の中を少しだけでもわかってみたい
見えないものでもある
見えぬものでもある
それを感じることの出来る仕事だと思っています。
そして、もしその1つでも感じることが出来たなら、
その気持ちを1つでも共感できたなら、
自分の生きている意味をちょびっとくらいは分かるのかもしれませんね
私が風俗に入ったきっかけは、
私自身が『わけあり』だったからです。
風俗に入る前は普通にサラリーマンをしておりました。
そんなある日、『責任』という名の下に2000万以上の借金を作りました。
営業の車のトランクには「遺書」と「ロープ」を携えて
営業ではなく、死に場所をさがして車を運転していたのを思い出します
あの頃は自分の中にある「見えないもの」に苦しめられていたのでしょう
まぁ、根はお気軽な人間ですので、自殺することもなく、
今は元気にお気軽に生きていますが(笑)
見えないけれど、
そこに何かがあると感じてみることはとても大切なことです。
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
さて、明日はデリヘル人情劇場「逃げた女」完結編です。
彼女はどんな『わけあり』をかかえて逃げたのでしょうか?
彼女の見えぬけれども、たしかにある心の中を覗いてみてください
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