満州での思い出
2002年12月5日ぅお〜〜〜。今日は寒いしやってらんねぇ〜ぜぃ!
久々に悩める乙女ドトつんちっくに始めるかぁ!
パンの生地に襲われそうになる夢で目覚めた2時半。
パン生地に魘されてどーすんだぁ!なんて自分にツッコミを入れ、
枕に右ストレートを御見舞いしてやった瞬間
「ゴキッ!。。。」
猛烈に腰痛中のでり君です。
今日も元気にパンを6000個焼いて来まして、
その後は老人施設へと行って来まちた。
デリヘルやってた頃は「身障者デリヘル」といって、
身体の不自由な方の所へも行ってましたが、
今は先日も書いたように、老人福祉施設で習ったことを忘れないよう、ボランティアという名目ですが、こちらが勉強をさせていただいている身分です。
施設内には様々な方がいらっしゃります。
ご病気で麻痺が残ってしまっている方や、痴呆のある方、言葉が思うように話せない方、そのような方々の介護や介助のお手伝いをさせていただいているのですが、とても深い仕事であることが日に日に分かってきます。
机に向かって習うことと、実際に現場に触れてみて学習することの差は歴然としています。教科書で習うことが役に立たないという訳ではなく、しかしそれが答えであるということでもない。一人一人に今まで歩んでこられて積み重ねてこられた人生があり。スイモアマイも経験されてこられた先人。接し方にも気を配る必要が多大にあり、尊重すべきものがあります。そんな中で、自立に向けリハビリに励む方を支援し、また今後残された人生をどのように送ればよいのかを迷い思いつめる方々の話し相手になったりします。
以前、私が福祉に興味を持った理由を、
風俗の仕事と福祉の仕事に接点があるから
と書いたことがあります。
そんなバカなこと言ってるんじゃないよ!とお叱りのメールを頂いコトもあったのですが、今もその言葉を撤回する気はありません。
その時に、風俗の世界も福祉の世界も
見えないものを見る仕事だと書きました。
この辺りの感覚は閉塞された世界というものを経験してみなくてはわからないでしょうが、今でもやはり福祉という世界も風俗も 「見えないものを見る世界」 だと思っております。
昨日はご老人の話し相手ということで施設に入っていたのですが、とても面白いお話を聞きました。利用者さんのプライバシーを守らねばならないという事から、いつものように事細かに書くことは出来ませんが、
その方が若かりし頃、16歳で旧満州へと渡られたそうです。
その満州で、その方は今で言う風俗の仕事に就き終戦間際まで働いていたそうです。
当時の満州は金に溢れ、かなり大きな金を手にし日本へと引き揚げてこられたそうです。しかし日本に帰って来てからは、そのお金には一切手をつけずに今日までこられ、今後はそのお金で入居型の老人施設へ入所され、家族に迷惑を掛けることなく自分の余生を送りたいという話を長時間に渡り話されてました。
自分も風俗をやってましたとは言えませんでしたが、何故かそういう方とめぐり合う運命なのか(笑)
デリヘル人情劇場に書き直すと1ヶ月はもつのではないかという程の話。
まぁ職員の方がこんな話を聞いてあげる時間なんてないので、暇つぶしには私はもってこいだったのでしょう。
風俗にしても、福祉にしても、お金を貰って働く時点で「情」と言うものはすべて排除します。
「情」が自分の命取りになるから。
ボランティアという名目であるからこそ聞けた話。
いつか日記で彼女の人生を書きたいですNE。
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